その九 高野山の開創
「日本には仏教を勉強するための寺院や、学問僧は多いが山林にこもって修行する僧は少ない。自分の弟子たちが、人里離れた山の中で座禅をし、修行できる場所がないものだろうか」
こう考えられたお大師さまは、弟子たちが修行し民衆の幸福を祈る道場、そして真言密教のじょうどを建立すべき深山の霊地を求めて各地を歩かれたのです。
大和国(奈良県)まで来られたときのこと。黒と白の二匹の犬を連れたたくましい狩人に会われました。お大師さまが、狩人に真言密教の根本道場を建立する霊地を探していることを話されると狩人は
「それならば、ここより西の地に昼は紫の雲をたなびかせ、夜は不思議な光を放つ山があります。あの山こそ、あなたが求められている霊地ではないのでしょうか。よろしければ、この二匹の犬にあなたの道案内をさせましょう」
と言い残し、姿を消しました。狩人は「狩場明神(かりばみょうじん)」といわれる神様で、高野山の地主の神である「丹生明神(にうみょうじん)」の一族だったのです。
二匹の犬は、お大師さまを守り、高野山へと導いていきました。お大師さまは、やがて周囲を八つの峰に囲まれた山野上の盆地にたどり着かれました。そこは、あたかも八葉の花弁をもつ蓮の花のようなところでした。岩清水はこんこんと湧き出て川となり、巨木の間をぬって流れ、花は咲き乱れ、鳥が鳴き騒ぐ。
「これこそ、わたしが求めていた場所だ」
お大師さまは、そうつぶやかれたのです。
左 丹生明神 右 狩場明神
弘仁七年(816)七月、嵯峨天皇より高野山の地を賜り、高野山開創のお許しが出ると、早速に根本道場づくりの工事が始りました。
伽藍(がらん)を建立するために樹木を切られたとき、大きな松の木の枝に唐の明州でお大師さまが投げられた三鈷杵(さんこしょう)が留まり光を放っているではありませんか。
お大師さまはそれを見て、ここ高野山が真言宗の修業道場として最もふさわしい土地であることを確信されたのです。
三鈷杵が留まっていた木は、高野山伽藍の御影堂(みえどう)の前に現在もあり、「三鈷の松(さんこのまつ)」と呼ばれています。「三鈷の松」の葉は三本あって、持っていると幸福になれると言い伝えられています。
高野山伽藍 御影堂と三鈷の松